イチゴ取りを終えて、メロンを選果場に持って行くことになった。出発時間に倉庫に行くと、
「メロンを買いにくるお客さんがいるからちょっと待ってて」とのこと。農協に出す分と、自分で売る分があるそうだ。30分ぐらいして、老夫婦が娘さんらしき人に乗せられて到着する。とくに宣伝はしていないので、買ったお客さん、送られたお客さんの口コミだけで注文がくるそうだ。もちろん段ボールには生産者名が入っているが、箱の中にも小さな紙が入っていて、短いあいさつと生産者名、食べごろ、食べ方などが書かれている。気配り…。冷やしすぎると甘さが感じられないので、常温で2、3日置いておき、食べる30分ぐらい前に冷蔵庫で冷やすのが「おいしいんじゃないかなぁ」とのこと。押し付けないのも、気配り…。
10時30くらいに軽トラックに乗せてもらい出発。もうすでに暑い。三笠と言えばメロンの産地「ここらへんでもたくさん作ってたんだけどね。」職業であるからお金を稼がなければならない。こだわりの農業をしたくても、収益がでなければ維持できない。教科書には「お金儲けの職業です!」という記載は一切ない。取材のはじめは「お金になった時がうれしい」というコメントに違和感を感じていたが、それは教科書にならされているからだとだんだん気付き始めてきた。
選果場に到着。すでに持ち込まれた他の農家の作ったメロンが山のようにあり、たくさんの人で選別、箱詰め作業をしていた。到着するやいなや、係の人に書類を渡す。何個、ということの他に、作った場所、使った肥料や農薬、その時期など書かれてあるペーパーである。何かあった場合は、このペーパーをもとにたどって行き原因を探るそうである。出荷ごとにペーパーを作ることも、いつどれだけなにを、というのを「だいたい」ではなく全て記録してあるのは見習わなきゃと少し引き締まった。
帰り道で、「なんか飲むか?」と聞かれたので、取材料ですからと自販機でジュースを買った。「Aさん、何飲みます?」「オレ、コーラの500!」やった、コーラ飲みがここにもいてうれしかった。2人ともこの時点で朝飯を食っていない。コーラを飲みながら、牛乳の話をして帰る。
「オレは油の浮くような濃い牛乳が好きなんだけど、売ってる牛乳は水みたいなもんでしょ。」
「それが今のお客さんのニーズなんですよね。」
「だけど、それでもうれないしょ。」
「確かに、わざわざ牛乳を選んで飲む人は少ないかも。」
「水だって買う人いるのにな。水の方が牛乳より高いっておかしいと思わない?」
そうだよな。水に値段がつく時代。健康にいいから…というのは購買意欲を喚起する。だけど、待っているだけでは買ってくれない。価値を生産者なり販売者が宣伝するだけではだめなのだ。どうしても、それが欲しいという条件を作り出すことが今は必要なのだ。財布のひもが固いって言うけれど、いいわね、欲しいなぁと思ってくれさえすればどんなものでも買う。
Aさん宅に到着し、休憩かな?と思ったら、そのまま小屋に直行。貯水池横の小屋は、今まで作業の合間休憩するところだと思っていたが、そこはイチゴの選別をするところだということを初めて知った。クーラーがガンガン効いていて気持ちがいい。STVラジオの音と自動秤から出る「L」「M」「S」という音だけが聞こえる。奥さんが既に選別を進めている。朝に収穫したイチゴをトレーごと秤にのせ、イチゴを一つ取るとその減った分の重さで、音声でサイズを知らせてくれるのだそうだ。
「始めた時は、量も少なかったけど一つずつ秤で量ってたんだ。」
「でも、今だってたまに量りに乗せていますよね。」
「たまに自動秤がまちがうんだよ。Lっていうけど、本当?って疑うんだよね。その時は改めて、小さい秤に乗せて量るの。」
「目と勘っていうところですか。」
「20年やっててやっとそんなもんかなぁ。」
「この量りにもマットがしいてありますね。痛まないようにですか?」
「うん、そう。こういうのもやりながら試行錯誤。この小屋だって、クーラーだって最初はなくて、倉庫の方でやってたの。ここまでくるのにたいへんだったな、金も。」
昔は大変だったのよ…というのはよくあるフレーズだが、「金も」といわれることで、信憑性が出てくる。
もう随分前のことを思い出した。その学校では昔あそび集会をやっていて老人クラブの人たちに学校に来てもらい、昔の遊びやお話を聞かせてもらっていた。企画の立ち上げ当初、遊びの打ち合わせに行くと、「遊んでる暇なかった」と言われた。言われた時は「それでも何かあるでしょ」という思いがしたのだが、話を聞くうち本当に仕事の手伝いで勉強どころか遊ぶ暇もなかったという人に何人もであった。結局、こちらの描いているイメージと実際はぜんぜん違うのだ。農家であろうと漁師であろうと、工員であろうと、販売員であろうと基本は「生きて行くためのお金を稼ぐための仕事」なのである。みんなの幸せや健康を考えてくれる「いい人」ではないのである。「いい人」のイメージ、「昔は大変だった」イメージ。イメージで語るのはやめようと思った。(つづく)
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